夕飯の買い出しにスーパーへ行った帰りに夕立。ずぶ濡れでツルッツルになったタイヤの自転車を漕ぎながら、雨宿れるのかどうかギリギリなコンビニの軒先の喫煙所へ駆け込み、少し湿ったタバコに火を着けた。空は稲光がうるさいし、夏なのにやたらピンクく咲いている花が風に散らされてるし、おじさんがまぁまぁに詰まったスーパーの買い物袋をかさ代わりに頭に乗せて走ってし、雨は止まないし、たばこが凄い美味しい。若干寒くなってきたのが、なんだか嬉しくなってきた。ら、なんか凄く泣けた。若干、オイオイ泣いた。若干なのにオイオイと。涙はちょっとしか流れてないけど、心の中では号泣してた。今の私が、3年ぐらい前の真木よう子みたいな女性だったら、それはさぞいい光景で、Twitterあたりにその心情をアップして即50RT、インスタはインターネットぽさが無くてやっていないんだ。FBは、会社のオウンドメディアの担当者に「さっき記事公開したんで、シェアお願いしまーす!」って言われた時のためだけに残してるだけだが、言われても結局シェアもいいねもしない。FBのあれはいったいなんだ、100%いいねの感情になったときなんか、母の子宮からひねり出された時ぐらいしかないし、産道が狭くて苦しかった時に「ひどいね」を付けた時以来、FBでシンプルな感情を表明するのはやめたんだ。もっと、ファジーに感情を表明できる仕組みにできないものか。「4割良いけど、3割妬ましいし、後の3割は自分でもよくわからないので、主治医に聞いてみてくれ」みたいなアイコンをな?というようなことをタバコを吸いながら考える女性だったら、どんなに良かっただろうに。もしくは、ちゃんとしたミュージシャンであれば、きっとこの夕立をテーマに、このたばこ程度には女性の下着を湿らすロマンチックな曲を作ったのだろう。宮本浩次をイメージしているのだけど。胸元広げがちな白シャツに黒のスキニーでな。しかし、私は40手前の小男なのでした。男性ホルモン中途半端に多めなので、白シャツの胸元から中途半端な量の胸毛がはみ出すような小男なので、こんな夕立、濡れることしかできんよ、と灰皿にたばこを押し付け、自転車にまたがり、土砂降りの家路を辿りました。買い物袋のせいでバランスが悪くハンドルから手を離せないので、濡れて重くなった前髪を払う事も出来ず、不明瞭な視界で自転車を漕いでると、どんどんどんどん楽しくなって、ニヤニヤが止まらず、こんな土砂降りに人がいるわけもないので、小声よりはちょっと大きい声で「た(ぁ)のしーなぁー!!!」と言ってしまったんです。青春かよ。青春だったよ。5分ぐらい。そして、なんか、書きたいな、って思ったのでした。
で。テキストサイトだったりブログだったりを書いてた人が、書くのをやめてサイトを閉めてしばらく休んで再開する時に、元○○とかex.○○とかやりがちですよね。私もやるよ! インターネットが好きだからー。でも、元、と言ってるだけあってやっぱり、昔書いてた時の勢いだったり、恨みだったり憎しみだったり寂しみだったり欲求だったり飢餓感だったりは掘っても掘っても出てこない。何者かになりたかった20代を何者にもなれず過ごした結果、お賃金美味しいです!というドラッグのような喜びを覚えて、ジャンキーのように労働をする生活で満たされてしまってて、twitterの「カルチャー!!」みたいな人生を送っている同世代、彼らだけじゃなく、年下にまで嫉妬しながらも、寝てアニメ観て寝る以外の睡眠アニメカルチャーにしか触れられない私としては、あいつら超羨ましい。エロマンガみたいな生活送ってるに決まってる。エロマンガのラストページみたいな満たされ野郎どもだよ。フォローしている人全員、どこかしらの地下アイドルに好意を持たれている気がする。と書いてみたものの全然羨ましくなかった。とにかく、クラブで知らない人紹介されて仲良くなれる人間味を獲得できなかったどころか、イベントでお呼びしたゲストのほとんどすべての方と仲良くなることも出来なかった!テキストサイトをやっていたのだけど頑張らなかったのでライターやラノベ作家になれなかった!マッドサイエンストになりたかったのにHTML/CSSコーダーになってしまった!生まれてビックリだ!
出来るものなら、今からでも、安藤裕子に生まれ変わりたい。本人としてTEXASを歌いたい。その後、フレディーマキューリーに生まれ変わって、えと、何を書こうとしていたか、忘れてしまった。土砂降りのキラキラした気持ちが、どこかへ行ってしまった。十年ぶり位に書いても、成長していなかったな、私は。まるで、ずっとテキストを書いていたみたいだ。書いていたのだろうな。元、でもなく、ずっと私だったな。タイトルの意味が成り立たなくなっってしまったな。でも、こじつけるなら、元日、という言葉がありますよね。
