こたつ

コタツがデカい。どれくらいデカいかというと、ホグワーツぐらいある。逆にホグワーツ側もこたつくらいある。実家のコタツもやたら大きかった記憶があり、小学生の頃はその中に籠って、そのオレンジの灯りで、それはもう沢山のエロ漫画雑誌を読みました。ジャンポ、ペンギンクラブ、フラミンゴ。今ではすべてが懐かしい。それらを宝として大事にしつつ、慈愛の精神で友人にシェアしていたのですが、URECCOやBeppinなどのグラビア系を読んでる同級生から「Hな漫画とかなんか気持ち悪い」と言われて心底傷ついた私は宝を抱えてコタツの中に逃げ込み、自分だけの王国を築きました。「私は気持ちが悪い人間」という冠を被り、王となりました。エロ漫画は国宝でした。コタツ灯のオレンジ色に彩られた国宝は、優しく王を慰めました。王国はオレンジ色でした。それくらい、私にとってオレンジという色は大事だというのに、いらん政治色がついてしまった。お陰で、小学生の頃の悪癖のせいでオレンジ色を見ると反応してしまうんですよね!っていう嘘が付けなくなってしまった。腹立たしい。とにかく。そのような理由で、私にとってこたつは大きいものでないといけないのです。なので120㎝×80cmサイズを購入したのですが、設置してみると思ったよりでデカい。3人家族で丁度いいサイズ。そのファミリーサイズがファミリーではない私を傷つける。その傷ついた心を癒すための王国に帰還したかったのですが、建国(組み立て)の時点でサイズ的に無理だと分かってましたよね。一応、快楽天片手に上半身だけ突っ込んでみたのですが、今のコタツって最大温度に設定しても全然発光せず、物凄く暗い。王国は闇に包まれていました。帰る場所を無くした王はニトリで買った座椅子を玉座としてコタツにセットし、座り、快楽天を放り投げ、授業中に寝る学生の様に天板に伏せって、こう思いました。コタツがデカい。デカいのに私しかいない。王とは孤独であるとは聞いていたが、こんなにもか。唯一の国民と言える猫はこたつヒーターの音が嫌いらしく近寄りもしない。こたつで丸くならない。話が違う。こういう時、「こたつデッカwww」「ねwww」って笑いあえるパートナーが欲しい人生だった。どう自分に有利な計算をしても介護付き老人ホームのベッドの上で夕日に照らされて1人でカールを食べている図しか描けない。ご飯も食べずにずっとカールを食べているので職員からは「カールおじいちゃん」と呼ばれています。本人もそのことを知っているので「ひげが生えている訳でもないのにな」と苦笑しながらカールをシャクっと齧ります。カールがあるという事は西日本? きっと、誰も気にしないようなしょうもない事で「もうここには居れない!」って逃げ出したに違いない。私の知る王はそういうやつだ。では、王はパートナーを得る努力をしてこなかったかというと、そうでもない。王はまずマッチングアプリに手を出しました。職業欄には「王」と入力したといいます。そんな狂人がだれかとマッチングできる筈もなく、やる事が無くなった王は象牙の塔に籠りプロフの趣味項目にアーティストや作品を登録する好みカード機能に夢中になり、その登録数が500を超えた時に我に返り、泣きながらマチアプにログインすることを止めました。以下はマチアプ指南サイトの意見です。

そもそも王は異性と喋る事が得意ではありません。会社のハラスメント講習で、講師から「貴様ら氷河期世代は豚である。豚が人語で異性に話しかけるなど言語道断であり、ハラスメントとなる為、控えるように。話しかけられた際の返事は「ブー」と返答する事。yesの時は「ブー」、noの時も「ブー」と返答せよ。どちらであるかは人間サイドが決める。分かったら返事!」「「「ブー!!!」」」「このくらいの事さえわからんのかこの豚どもめ!(ブラックジャックで殴打)」と調教されたので会話自体に慎重ですし、人語での会話が許されたとしても喋る時、最初に「8192番! 発言願います!」と叫んでしまう癖が抜けないので、たとえ出会いの場所があったとしても無理でしょう。あと、8192番という数字を貰った際は、キリが良くてちょっと嬉しかったです。

ここまで書いて「そうでもないな」と思ったのですが、それでも、私のような古いタイプの弱オタクは「基本、許されていない」という意識を抱えて生きていると思います。勝手に原罪を背負って、ゴルゴダの丘の上で震えながらずっとエヴァ(EoE)を観てる。でも、もう令和です。社員旅行の余興で女子社員チームがももクロを歌うので、その前でオタ芸やってくれませんか?と話したこともない人事のキラキラした女性社員からルックスだけで判断されてお願いされた平成じゃないんです。その時の返事の「ブー!」は幸運な事にnoと受け取ってもらえましたが、その後、同期のプログラマがニコニコしながらオタ芸を打ち、経営陣や営業チームがそれを見てゲラゲラ笑ってるのを見て、王はコップのビールを一気に流し込んでその場を離れ、人のいない喫煙所で煙を吹かしながら「ブー」と呟きました。その「ブー」はyesという意味だったのかnoという意味だったのか。もしくは別の意味があったのか。それを判断してくれる人間は喫煙所にいませんでした。呟いた王自身もわかりませんでした。そんな辛い時代を経て、今はオタクを自称する事に後ろめたさのない平和な時代です。前時代的な自虐思考なんて誰も喜ばない。むしろ不快。なので、そろそろ私も、私を許そう。冠を脱ごう。王でも何でもない、気持ち悪くもない、ただの私として、王国でも何でもないコタツに入ろう。コタツはデカい。私の他に誰もいない。猫は遠くで寝てる。私は私を許した。でも誰もいない。今日はなんか寒いので、もう少し深くコタツに入る。足がギリ出ないぐらいまでコタツに入る。暖かい。もう何もしたくないし、食欲もない。もう寒くはないし、このまま寝れるかもしれない。

「ブー」

そう呟いて、目を閉じました。

ボクサーブリーフ

猫と暮らしていると2週間に一度はペットショップへ行く。最寄りのペットのコジマは相模原ニトリモールの中にあり、そこにはニトリは勿論、トイザらス、OKストアもあるので、家族客にとってのエコタウンと言える。言えない。エコタウンはそんな風に何かを例えるのに適さない。そういう、家族連れでごった返す週末のニトリモールは、知り合いが一人もいないクラブイベントのようで、みんな笑顔なのに私だけ真顔で、居心地の悪さを隠すために直角に角を曲がりながらトイレに入り、自分はどこにいても一人なのだなと思いながらXを見るのが大変心地いい。そういうのは20代前半で終わらせておくべきであり、なんだ私はまだ青年の気分なのかトイレの鏡に写る白髪交じりで顔の沁みも濃くなった中年を見てごらんその男が青年と言えるのは地元の青年会の会合にいるときだけで残念ながらここは青年会の会合ではなくニトリモールおやごらん鏡の中の小男が泣き始めたよおもしろいねと思ったという設定で直角に角を曲がりながらペットのコジマに入ります。2週に一度。

ペットのコジマの二つ隣にはアベイルというファッションセンターしまむらの親戚みたいな店舗があり、コジマに寄った際には必ず寄るようにしています。アベイルは「今を着る」というブランドコンセプトの元、マーキークラブパンストドロヘドロなどとコラボしてしまむらの親戚みたいな服を大量に揃えて「今」という概念に喧嘩を吹っ掛ける企業で、毎回ブックオフの250円CDコーナーをチェックする感覚で覗きに行きます。ただ、ブックオフ250円CDコーナーには稀に良いCDがある。アベイルに良い服は無い。一着も無い。心が動いたことが無いとは言わない。でも一度も買った事はない。2週に一度アベイルに行くのに一度も服を買った事が無い事を自慢気に語りながら生きるつもりです(介護付き有料老人ホームなどで)なのに、冒頭のXのポストです。ジャミロクワイは就職氷河期に効く。カチカチに凍った心に攻撃が通ってしまう。アベイルは過去にもジャミロのコラボスウェットを出した事がありますがダサかったので余裕でスルーできました。でも、パンティーは無視できない。もし、私に人生最後の玉幸が訪れ、相模原ニトリモールみたいなクラブイベントで女性と知り合い、その場で意気投合、そのまま、その、もつれ込んでしまう事が起きてしまったとするじゃないですか? え、嘘、そんな事あるの? 頑張って生きよう。で、その時、よもやそんなことが起きるとは思わず私がこのジャミロパンツを履いてしまっていたとしたら。相手、笑いゲロ吐くんじゃ? いや、ムードもある。きっと大変人間が出来てる人なので、ムードを壊さないよう大人の対応をされる。でも、最中ずっと「ジャミロて」と思ってる。もしくは、翌日の別れ際に「ところであのパンツさ(笑い)」って言われる。その方を○○さんとします。その次に○○さんとクラブで会ったとき、凄いニヤニヤされながら「あ、ジャミロ、一緒飲もうよ」と話しかけられ、あだ名が「ジャミロ」になる。周囲の認知も段々変わってきて、知らない人から好意的に「ジャミロさんですか?」と声を掛けられ、フライヤーにも「ジャミロ」と書かれる。皆さんは耐えられますか? 私は耐えられるな! みんなから愛されて「ジャミロさん」って呼ばれるなら、そこはもうニトリモールではないんですよ? もうあんなところ戻りたくない! でも、30代なら無理でした。30代までは、恥をかく事が怖く、飛行機に乗る事が怖く、写真に写る事が嫌で、自分の写る写真が大嫌いで、私はそんな私である事に固着していました。40代になって少し経った頃、機内でいつものようにひじ掛けを全力で握りながらも、ふと思いました。「実はもうあんまり怖くないよね?」瞬間、霧がさっと晴れた気持ちになり、それ以降いつどこでも鼻糞をほじれる様になりました。人差し指第3関節まで突っ込める。自分が写ってる写真を見ても「いい写真だね。ところでこの醜夫誰?」って言えるようになりました。でも、私を「ジャミロさん」と呼ぶ人がいたら全力でその人を憎む。無理よ。そんな屈辱耐えられないし、二度とその場に行かない。ニトリモールに帰る。そう言っているのに、○○さんは私を「ジャミロ」と呼び続けるのです。ちょっと良いレストランに行った時も○○さんの友達と会う時も紅葉を観たいと呼び出され遠出した時も、所かまわず「ジャミロ」と呼ぶので、流石に勘弁してほしいと伝えます。すると○○さんは、はじめて私を「ジャミロ」と呼んだ時のようにニヤニヤして言うんです。

「じゃあ、なんて呼んで欲しいか教えてよ。これから、ずっと一緒なんだからさ」

ジャミロパンツ買わな。ユニクロのエアリズムシームレスボクサーブリーフ履いてる場合じゃねぇ。うち、それしかねぇ。公式で言うように「まるで、はいていないような着心地」なので、ノーパンで外を歩いているような罪悪感があって最高なのに。こんなんじゃ○○さんを笑わせる事が出来ないし、私は○○さんがこの世に存在していない事を受け入れられなくなってきました。噓でしょ、○○さんはどこにもいなくて、後数時間後には労働が始まるとか。いやでも、○○さんなんていなくて良かったのかもしれない。私は120歳まで生きる予定なのですが、女性の平均寿命って80後半でしょう。先死ぬじゃん。耐えられない。私、○○さんにはずっと長生きしていて欲しいんです!(瞳孔ガン開き) でも、人は摂理に逆らう事はできないので、数十年後、○○さんは夏のある日倒れて入院してしまうのです。私は毎日、病院に通います。免許は返納したので、病院へはバスで向かいます。一人で乗るバスは、苦手です。最初は「今年は紅葉を観れずじまいで、あなた残念だったでしょ。一人で行って来られても良かったのに。フフ、来年一緒に行きましょうね」と笑っていた○○さんは、冬にはもうベッドから起き上がる事は出来なくなっていました。年が明け、何度かの重篤な時を経て、○○さんはもう寝ている時間の方がずっと長くなっていて、それでも起きてる時は二人で昔のたわいない事や、今年の紅葉はきっと奇麗だとか、そんな事をずっと話し続けていました。ある日、寝ている○○さんの手を握りながらうたた寝していた私は、自分の手にそっと重なる手の感触で目が覚めました。○○さんが微笑みながら私を見ていました。謝る私に、微笑み、そして、ちょっとだけニヤニヤして○○さんが言いました。

「昔の事を思い出してました。初めて会ったときの事。あなた、ジャミロクワイのパンツ履いてた。笑うの凄い我慢してた。あの日、凄い楽しかった。あの日から、ずっと楽しかった。本当にありがとう、ジャミロさん」

こちらこそありがとう、○○さん。でも、その名前、と苦笑いで言った私に返ってくる言葉は、もうありませんでした。

買う。ジャミロパンツ買う。なんで自分で書いたものでこんなに胸を苦しくしてるのか分からないけど、今深夜2時だけど、アベイルの店長たたき起こしてでもジャミロパンツ買う。みんなも買お。買おうね。後、紅葉も見に行こうね。私とジャミロさんと○○さんとの約束だよ。

グラス

40代独身男性に必要なグラスの数は幾つなのだろう。20代は0でした。水も牛乳も酒もコーラもフルーチェも全部1個のドデカマグカップで事足りた。うがいもそれでした。テクノを聴いてましたからね。テクノを聴く人はこの世のあらゆる制限から自由であるべきで、用途によってコップを使い分けるなんてハウスを聴く軟弱者のすることだと思ってました。思ってませんでした。テクノを聴く人はすぐ思ってもないことを口にする。私がテクノを聴くのをやめた理由がそれで、今はハードテクノを聴いています。翻って40代。変換して気付いたのですが「翻って」の漢字って、麻雀の1翻、2翻とかと同じ漢字だったんですね! これは「あなたは捲るのに倍満以上が必要。翻って私は1翻で上がれば終局です」って声に出して言っても中々気づけません。これがセレンディピティ。翻って40代。食器棚を確認したら6個ありました。全然足りない。まず、朝。寝ぼけまなこの萌え袖パジャマで牛乳を飲み干し、使ったグラスをシンクに全力で投げつけ(‐1個。残り5個)た瞬間、持病の薬を飲んでなかったことに気づくも割れたコップは使えませんし、実際投げてないのでコップは無事ですが牛乳を飲んだ後のコップに水を入れて飲むなんて、なんとなく薬の成分に影響ありそうで気が進まない。結局新しいグラスで薬を飲み(-1個。残り4個)、水出しほうじ茶を注ぎなおして作業用デスクに向かうと、そこには昨日使ったグラスが2個(-2個。残り2個)。他にも、付箋、しまい忘れの印鑑、眼鏡拭きシート、試供品の吸う予定のないタバコ、付箋、水道料金の払い込み用紙、芸能山城組のステッカー、体温計、映画虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の入場特典(未開封)、CDの不織布ケース、鷹の爪、センスの哲学、来月行くライブのチケット、1カ月差してない目薬、3カ月飲んでないサプリなど仕事に関係ないものが放置されており、イラっとしますね。そういうのは昨日までの私がしたことで、何故私が他人の後始末をしないといけないのか分からないので、そのまま仕事を始めます。teamsやらslackやらgoogle chatやらが気の触れたかように通知音を鳴らしますので、すべて無視してXとはてブを見ます。Xとはてブを10往復もしますと、仕事をしていない焦燥感で喉が渇くのでキッチンへ向かい、新しいグラスでほうじ茶を飲みます(-1個。残り1個)。ラストのグラスはアイスコーヒー専用の為、夏まで使いません(-1個。残り0個)。

このように、グラス6個では午前中も持たないし、午後以降の給水は未来の私がシンクに溜まった皿ごと片付けてくれる事を祈りながら手でいきます。グラスが足りないのは重々分かっているので買えばいいのですが、私ももう四十と六つ。そんじょそこらのグラスは迎え入れたくない。ニトリやダイソー、セリアには敷居を跨がせない。そんな安物を買うなんて、いったい何のために40年以上生きたと。私はなぜこんなことを主張しているのかと。我に返った。思い出した。書くの楽しい。翻って今。この「翻って」は誤用。グラス。グラスです。たった今、我が家にはグラスが足りないのです。仕事中にグラスが足りないと思い、グラスを洗うでもなくwordpressの画面を開き、5個のグラスを洗う時間の十倍以上の手間をかけて書いて、考えて、書いています。「40代独身男性に必要なグラスの数は幾つなのだろう」について。なんて楽しい。こんな楽しい時間を送れたのです。なので、40代独身男性に必要なグラスの数は、6個。

13g

猫の1回のカリカリの量が13gで、私が飲んでいる珈琲1杯の豆の量が13g。猫と私の共通点はそれぐらいで、その他は何も似ていません。猫は可愛いが私は可愛くない、猫は四つ足で私は二つ足(気分でたまに四つ足)、猫は無職で私は正社員。早く無職になりたい。私は猫を神だと思ってるが、奴は私の事をカリカリ製造マシーンとしか思っていないのでは。差異は無限に挙げられるますが、共通点は「13g」の1点のみ。だから、この重さを愛おしく思います。どこかの卓越した餅職人のように13gを感覚だけで分かるようになりたいですが、それだと私の頭が狂って500gを13gと言い張る日が来てしまったら、猫のご飯入れに一日2kgの餌を入れて「猫がご飯を食べなくなってしまった!」と泣き崩れてしまう。それは凄く悲しい。なので、毎回ちゃんと計量器でピッタリ13g計ります。計量器に映る13gを500gと認識してしまう形で頭が狂ってしまったときの事は後日考えます。ちなみに猫のカリカリ13gは、それ以上だと太りすぎ、それ以下だと持病の悪化が懸念されるので、13gじゃないとダメなのです。豆の13gは、サニーデイの呪いにより「コーヒーを飲むと言う事は熱い濃い珈琲を飲む事だ」と固定概念を植え付けられた氷河期世代の悲哀から生まれた量です。でも熱い濃い珈琲を飲めると言う事は、きっとまだ内臓が老け切ってないと言う事なので、悪い事ではないと思います。やなか珈琲のセンチュリーオールドが好みです。

猫が毎食13gのカリカリをモリモリ食べて、私が13gの豆をガリガリ挽いてズズッと音を立て珈琲を飲む。13gという共通点が支えている健康的な毎日。40歳を超えてから好きな数字が出来るなんて。まるで思春期の学生みたいだ。