止めだ、止め! 私に気のない女から薦められた本など、もう誰が読むものか! いや、読むよ。面白いし。読みますけどもさ。読書体験に女の顔がちらついて邪魔であり、濡れ場があっただけで「目にうつる全てのことはメッセージ!」とYu-mingしちゃう。オジサン、中学生だから。つまり、読書はもっと純粋なものであってほしい。ページをめくる度に広がる未知の世界に飛び込んで窒息して死にたいし、読みながら歩いてダンプに轢かれ、沢山のモツをまき散らしたい。これは事故ではなく事件であり、被害者のはみ出た腸をよく見てください。文字に見えませんか? これは被害者が残したダイイングメッセージなんです。紹介が遅れました、私はJDCに所属するYu-ming探偵でして、目に映る全てのことがダイイングメッセージに見えてしまうんです。助けて。令和に清涼院流水かよ。講談社ノベルスオタはアニオタやテクノ愛聴家よりタチが悪く、まだ平成を生きているし、メフィスト賞をブッカー賞より上と思っている。早く目を覚まして、もっと読書と人生に向き合って欲しい。あと私が1ページ読むごとに5円入金して欲しい。口座番号書いておきますね。
三井住友銀行 西新井支店
普通 7432411
ヨシカワ カズシ
そもそも私、老眼でワキガなので、読書と相性が悪いんです。でも、ワキガは加齢に伴い弱まりました。若い時は酷かった。食事の際、頂きますのポーズで脇を開くと目の前の食事がみるみる腐った。ヤンシュヴァンクマイエルのあの感じで。あと、家中のゴキブリが死んだし、佐渡のトキも私の脇が殺った。腋臭が千里を駆けた。そのせいで家族はずっとマスクを着けていた為、私は母の顔をマスクから覗く目しか知りません。父の顔は知ってます。父は食に関して意地汚い人でした。ある日の夕食、私の臭いで腐っていく唐揚げを見るのが耐えられなくなったのか、おもむろにマスクを外して唐揚げを頬張ったんです。その直後、盛大に吐きました。吐瀉物には腐った唐揚げだけでなく、お昼に外で食べただろうゴーヤチャンプルーが混ざっていました。そして、「もうやってられるか!」と叫んで家を出ていきました。それが離婚の理由になったと聞いています。なので、父の顔は噛んでぐちゃぐちゃになった唐揚げ交じりの吐瀉物とセットで覚えています。耳垢も湿ってるどころか沼で、綿棒を突っ込むと泥が出てきました。突っ込まなくても常時泥が垂れているので、私の歩いたあとは、泥と腋臭で死んだ動物の死骸で埋め尽くされていました。お陰で道に迷った事が無いんですよね。一度、垂れてきた泥を集めてビニールプールに沼を作ってたら雷に打たれて死んだんですけど、同時に沼にも雷が落ちて、化学反応で死んだ私と全く同一、同質形状の生成物が生み出されちゃって。それが今の私なんですね。耳垢なんです。私。でも歳を重ねるごとに、代謝が弱まるに従って、臭いは弱まっていきました。ほぼ無臭となった30歳後半、生まれて初めて腐ってない白飯を食べた時は泣きました。美味しかったからでも、嬉しかったからでもありません。なぜでしょう、とにかく泣けてしかたがなかったんです。号泣して、畜生、畜生と唱えながら白飯を掻っ込んだことを覚えています。虫も死なな無くなったので、今は家はゴキブリだらけです。これが命。それまで、私は臭いで死をつかさどっていて、本屋へ行くと全ての本も死にました。新本の奇麗な白い紙がすべて茶けた古書の様に。あらゆるくまざわ書店がブックオフになりました。今はどんな本屋にでも安心していける。本、好きなんです。先日も、家から歩いて相模大野のくまざわ書店に行きました。歩く私の後を埋め尽くしていた泥と死骸は、今は大量のゴキブリに代わりました。家からついてくるんですね。死から解放され、生と知識の自由を求め歩む私を慕いついてくる大量のゴキブリ。まるでドラクロワの『民衆を導く自由の女神』みたいだな、と思いながら入店し「百年の孤独」と茨木のり子の詩集を購入しました。インテリの象徴である「百年の孤独」は、衒学主義の私としてはずっと気になり続けていたものの、本屋に入れなかった事と南米文学のマジック・リアリズムをなぜストリートファイターシリーズのブランカとダルシムが混じったものとして認識していたので(衒学主義の弊害)、ならスト6やるかーとなって放置し続けていたんです。ワキガが収まったお陰で、やっと手にする事が出来ました。この嬉しい気持ちをゴキブリの巣に持って帰りたくなかったので、Gong-chaに寄り道。相模大野はキラキラ輝く田舎の都会。ゴキブリ引き連れて入れるGong-chaだってあるんです。阿里山烏龍茶を注文し、早速百年の孤独の頁をめくる。で、どのアルカディオがなんて? とりあえず、チンポコがデカいアルカディオがいる事はわかったのですが、それ以外何もわからないし、読むほどにどんどん文字も読みにくくなってくるし、60ページを超えたあたりで文字は完全に潰れて読解不能となりました。しかし、私の衒学主義はヤワではない。名著を手に取り何も理解しないまま最後のページをめくり本を閉じブックオフに持ち込んで買取価格を伝えるタプレットに唾を吐き小銭を受け取りその足で文壇バーへ向かい「文庫版読んだよ。やっぱり重さが足りないね」と宣い阿里山烏龍茶を注文する。それが私の衒学。負けない。その気持ちだけで、かつて文字だったものを追い続けると、かつて文字だったものが何らかの形を取り戻し始めます。ほらな、見てみろ、衒学主義は認識の限界を克服するんだ。分からないがなんだ、分かったふりをする方がずっと大事さ。しかし、かつて文字だったものは文字にもどる様子は見せず、どんどんその形を複雑化していきます。文字ではない、しかし、かつて見た事のある何かに似てる。何か大事なもの。衒学主義は私に何を見せようとしているのだろうか。気付いた。父だ。腐った唐揚げを食べて嘔吐した瞬間の父の顔だ。文庫のページいっぱいに、嘔吐している父の顔が並ぶ。そして、38字×16行分の父の、その目がギョロリと私を見る。テーブルに叩きつけるように本を閉じる。これが老眼です。もう全然文字を追えない。皆さんはまだ余裕ぶっこいて本やらスマホやらを見てるかもですがね。今の内よ。文字を読む、ただそれだけの事に労力が必要になる。労力を使ってTLを追いかけた先で、フォロワーの皆様がキラキラした生き様と自分の鉛色みたいな生活を比較するんですね。特殊な趣味ですね。お大事に。あと、私のスマホの文字サイズがデカくて、もうダサい。ダサい文字サイズのTLを読みながら食べる焼肉は美味しいですか? 百年の孤独を60ページ読んだ感想が「私はダサくてワキガで老眼」。これは良くない読書体験。帰ろう。ゴキブリの巣に。そして、8割残っている阿里山烏龍茶のカップを両手で勢いよく柏手を打つように潰して周囲をビショビショにして席を立ちました。烏龍茶なんて飲むんじゃなかった。そもそも飲んでないし。私はGong-chaになど行ってないし。そもそも、相模大野にGong-chaなんて無い。ありますけどね。私が入れるGong-chaはないんです。私が入ろうとすると全店員が銃を向けてゲラウヒアって言うので。でも、低学歴で売ってる私です。何語?って思いながら店内に入ろうとしてちゃんと撃たれたので。なので、Gong-chaには行っていません。私が居たのは、相模大野ステーションスクエアの銀だこ横の3席しかない飲食スペース。カウンターしかない、壁と向き合うしかない、硬い椅子の。幼い頃、父は私を叱る時、壁に向かわせて正座させるだけだったな。叩かれた事なんて一度もない。子を叩く度胸なんてなかったのだろうな。正解だと思うよ。お陰で、私もだれも叩けない。などと思いながら、ゴキブリを引き連れた気持ちで本を読んでいました。勿論ゴキブリもいない。なので、ゴキブリでさえない私の巣に帰りました。
これは噓なんですけど、帰宅して即、百年の孤独を全力で本棚に投げつけたら、奇麗にスポッと収まったんですね。まるで奇跡みたい! 嬉しくなって猫と一緒に小躍りして、思わずお気に入りの豆を挽いて珈琲を淹れました。こういう時はやっぱり珈琲ですよね。淹れた珈琲をそっと一嗅ぎ。相変わらず、キッチンのドブの臭いが混じって不快。そして、新入りを迎えた本棚を一瞥します。私の本棚。IKEAのKALLAX。アナログDJがイキって購入し地獄を見る事でおなじみのKALLAX。私の本棚。きったねぇな。


本当に汚くて、まるで私の脳内。ワキガの臭いが外に出なくなった分、脳に臭いがパンパンに詰まってて、それがそのまま表れてる。きっと、私が今一番やらないといけない事は、この本棚の整理なんです。まぁ、それはまた今度で。百年の孤独をそっとなんかの本の上に乗せて、ソファに座り、茨木のり子詩集を開きます。ちゃんと読んだことなくて、ずっと気になってたんです。あと、
詩集は老眼にやさしい
やさしいの
みたいなのが好き。WEBなので、きっとうまく表示されてない。読みたい本をほったらかして、本棚の片づけもせずほったらかして、取り込んだ洗濯物を畳まずほったらかして、色んな大事な事をほったらかしている私に、そっと入ってくる詩集。収まりが凄くよかったのです。洗濯物の束にもたれる猫。折角洗ったのに毛が付いちゃうけど、収まりがいいのでどかさない。今、朝の5時。雨。気圧頭痛を感じながら書き始めたこの文章も、丁度収まりが良い。猫はまだ洗濯物と寝ています。5時を5分過ぎました。朝ぼらけ。雨音。今、なんか、凄く収まりが良い。

